SOFU News Letter Sep 15th. 2004

 久しぶりのNLである。決して忘れていたわけではないのだが、県委員長が「学童が夏休みに入って手がかかる」とか、「お盆のお参りで忙しい」などとかこつけて、サボっていたのだ。いや、全くもって不徳の致すところである。そこで今回は、おわびの意も込めて、ド〜ンと2大レポートをお届けしたいと思う。残暑厳しい折、どこもうんどうかいの練習などで「お疲れモード」の中恐れ入るが、息抜きに読み流して頂ければ幸甚に思う。
  まず初めに、7月17日〜18日に佐賀市で行われた「九州青年部会」の様子をレポートする。いわゆる九州各県の青年部のトップが集まる会議であるが、各県の青年部の状勢、また交流が深められ非常に意義深い会であった。 続いて、今回のNLの目玉である「緊急視察!石垣島の保育園」をお届けする。なぜ、今?なぜ、石垣?と言った諸処のご質問があろうかと思うが、経緯や内容の詳細は後述するとして、とにかく一言だけ言えることは「石垣島、最高サー!!」ということ。それでは、本題にすすもう。

九州青年部総会レポート(7/17,18)

「♪S.A.G.A佐賀、S.A.G.A佐賀」の歌で一躍有名になった佐賀市にお邪魔してきた。メンバーは県・市青年部の執行部8名。車に乗り合わせて、会場となる佐賀市駅前の「アバンセ」に到着後、午後2時より会議が行われた。全参加者29名の自己紹介の後、前九州青年部会長の熊本県森田先生より決算報告がなされ、続いて各支部よりの活動報告があった。以下に記す。

※今回、鹿児島県、沖縄県は不参加であった。


午後3時からは研修会として、佐賀市杉の子保育園園長、金ヶ江亮子先生より「今なぜ子育て支援が必要なのか?」と題して講演を頂いた。以下要約。

「昔は大家族で他人の育児を見る機会が多かったですが、現代は核家族が増え、そのため子どもと1対1になる場面が増えたことが育児放棄、児童虐待、育児ノイローゼに繋がるのではないでしょうか?実際、子育て支援に聞こえる深刻な悩みは夫婦関係、姑との関係と言った事が多いです。お母さんは子育てを含めて、家庭、夫婦、嫁姑など総合的に悩み、ストレスを感じています。それを解消する場所が子育て支援ではないでしょうか。あまり思い悩む前にダベリング(気軽に雑談すること)が大切だと思います。しかし、実はセンターに雑談しに来られる人はまだ余裕がある人で本当に困っている人は来られない人であったりします。個人訪問も行っていますが、まだ保健婦さんの仕事の範疇という思いがします。引きこもりのお母さんも含めてもっと総合的な支援を行うことが今後の課題です。」


翌日は、昨年50周年を迎えたという尚賢保育園を視察した。今年の2月に園舎を新築したという園舎は、「鉄骨だが木の雰囲気を出したかった」と副園長先生が仰るように、木造建築と見間違うほど木材が随所に使われ、木の持つ温かみが感じられる雰囲気だった。また圧巻はこだわって作ったという中央ホール。「大物に育てるには、天井の高い家にするといい」というCMコピーも昔あったが、確かに開放感があり気持ちに余裕が出来る気がする。普段はお集まりや体育遊びで使用しているそうだが、改築には真似できない贅沢な空間である。また中央ホールに面して設置された給食室は一面ガラス張り、中で調理している姿が丸見えであった。食育の一つとして、「作り手の顔が見える料理というのも食事を大切にする一つの要因である」という話を聞いたことがあるが、まさしく作り手の顔が見える構造となっている。こうなると調理する側も手が抜けないと言うもので、子どもたちがガラスを通して「お魚さんだ!」「リンゴを切ってる。」などを嬉々とした顔で見ている姿が思い浮かんだ。ホールにはまだ七夕が飾ってあったが、子どもたちの願いが、保育者の願いが詰まった保育園であったように感じた。


緊急視察!石垣島の保育園

 さて、続いてはレポート第2弾、今回のNLの目玉である石垣島レポートをお届けしよう。
  去る8月の29,30日、県青年部執行部にて石垣島研修旅行が秘密裏に敢行されたのである。「聞いてないよ〜」と言われる各会員の声も聞こえてきそうだが、それもそう、言ってない。実はお盆すぎに企画、立案されたという無計画強行軍であった。
  これには深い経緯がある。昨年度、福田県委員長の発案で「これからは保育者もインターナショナルにならなければいかん!そこで、オーストラリアの保育園を視察しようではないか!」という海外視察キャンペーンの話を聞かれた方も多いと思う。
  しかし、例の9・11事件により計画は頓挫、やむなく海外視察が白紙になっていたところ、福嶋保育園の桑原史佳先生より「石垣島の先生と仲良くなったんだけど、見に行かない?沖縄ってねぇ、認可保育所が半分以下で、就学前の子どもがいないんだって。5才になると幼稚園に行くらしいわよ。海外ではないけど、全国的に珍しいんじゃないの?」とのお誘いがあり、まずは執行部で現地視察をとなった次第。ご了承頂きたい。

 さて、まずは石垣島の概要から少し説明したい。
  那覇市より飛行機で南西に1時間の所にある石垣島は、19の島々からなる八重山諸島の政治、経済、教育、交通、運輸の中心地。沖縄県内では沖縄本島、西表島に次ぐ3番目に広い島である。人口はおよそ47,000人、年間平均気温は25℃にも達し、亜熱帯の気候に属する。経済の中心はやはり観光で、訪れる観光客は年間70,000人を突破し、中にはそのまま石垣に移住する人もいる。
  過疎化で悩む地域が多い中、人口増をしている希有な地域である。更にそれに伴うかのように子どもの数も多く、沖縄県の出生率は全国トップ。(1.76人、全国平均は1.32人)子どもが多いのも驚きだが、それを受け入れる保育園が半分以上無認可保育所で受け入れているという。さて、その真相は?

 福岡空港から、那覇乗り継ぎで石垣空港まで5時間かけて到着。石垣島について第一声が「太陽が痛い!」である。小生も天草生まれで、日射しには強い方だがレベルが違う。南国を一瞬にして体感した。
  空港には今回お世話になる石垣市、みよし保育園の副園長、宮良先生にお出迎えを頂いていた。
  沖縄と言えば、今何かとはやりで、「海人」と書くとおおよその人が「うみんちゅ」と呼べる時代だが、まさしく「海人」を絵に描いたような風貌の宮良先生。「石垣市内、どこへいっても十分サー」と言いながら、20分ぐらい遅刻してくるおおらかな先生である。到着が5時と遅かったため、その日は夕食→ホテルというだけであったが、夕食時に会った宮良先生の奥さん、これまた絶世時を少し過ぎたアグネス・ラムを彷彿させるキュートな先生で、早速石垣の魅力ある人柄に触れてしまったー。


翌日、午前中、みよし保育園の視察研修、午後はフィールドワークと称し、石垣島の自然探索の予定。朝、9時、登園する園児に混じりながら、みよし保育園にお邪魔した。まず目に入ってくるのは、広い園庭一面に広がる美しい芝生、雑草一本生えていないので、よっぽど手入れが大変でしょうと聞くと「何にもしてないサー」との返事。余りの暑さに雑草も生えないのだろうか。園舎に入ると全室に聞こえるのんびりとした「沖縄民謡」、聞けば毎日登園時に流しているとのこと。なるほど、幼い頃からこのリズムが身体にしみこみ、沖縄独特の人柄というか情緒が身に付くわけだと妙に納得した。
  少し、園長先生に質問してみた。

Q 沖縄には無認可保育所が多いと聞いたのですが、
A はい、およそ半数が無認可保育所です。認可してもらいたいが、行政側が「予算がない」、「子どもがいない」を理由にとりあってもらえないそうです。しかし、現在沖縄には約3000人ほどの待機児童がいます。これも無認可保育所が2,5000人ほどの子どもを預かっての数字です。沖縄の保育事情が本土と大分異なるのが分かると思います。

Q 就学前の子どもが保育園にいないとも聞いたのですが、
A はい、沖縄では大半の地域が就学前になると幼稚園に行く習慣があります。実際うちにも6才の子どもは一人も居ません。

Q 沖縄の人は、おおらかで明るい人が多いようですが、
A 石垣タイムというのがあって、例えば「8時に集合」としても8時からぼちぼち集まりだし、全員集合するのは9時ごろになります。この時間にゆとりがあるのが良いのではないでしょうか?「石垣市内、どこまで行っても10分サー」というのも実際20分、25分かかるかもしれない、でも10分というとすごく近い気がして、気が楽でしょ。

 午後からは、石垣島の景勝地川平湾を眺め、米原ビーチへ移動。美しい珊瑚の間を泳ぐ、ビビッドな色彩の熱帯魚の群を見て、さすがの澤部長も感激。福嶋副部長と共に持参した水中カメラで石垣島の水中ショーを激写していた。



  翌日は夕方からみよし保育園で、「夕涼み会」が行われるとのこと。それまで、日本の最南端である波照間島へ移動。日本最南端の碑で記念写真を撮り、先々週のトリビアで「日本の最南端の標識は『止まれ』である。(78へぇ〜)」の標識でこいのぼりをし、満足した一行は夕方前にみよし保育園へと再訪した。

 

 保育園の園庭にはすでに大きな舞台が設置され、脇ではお母さんがソーキそばや焼き鳥などを手際よく作っていた。ざっと2〜300人くらいは園内にいるのではないのだろうか。心配されたスコールもやみ、午後6時30より屋内でゲーム大会が始まった。内容は、モグラたたき、輪投げ、ヘビパニック、ヨーヨー釣り、くじ引き等、圧巻はモグラ叩きで、段ボールに穴を開け、下から保育士さんが必死になってモグラを出し、それを子どもが叩くというもの、あれは子どもは盛り上がる。しかし、なぜか福嶋県副部長まで盛り上がり、出るモグラを全て撃沈し、保育士さんがひくという場面も見られた。

 

 7時30分を過ぎると、司会者の進行に従い、子どもたちの踊りが次々と披露。全て沖縄民謡の踊りである。お父さんによる獅子舞も飛び出し、「夕涼み会」はクライマックスの花火を迎え、9時に終了。少し遅いですねと尋ねると、「沖縄は日が沈むのが遅いから、これぐらい普通、飲みに行くときも夜12時くらいから1次会サー」と。どこまでもおおらかな生活である。

 

 


石垣島の印象は、熱い太陽と青い空、白い砂浜と透き通った海、泡盛と島唄とそれらの恵みを享受した人々といった感じだ。 とにかく何よりも惹かれたのは、自然でも食べ物でもなく人柄であったと思う。
これからは心のゆとりの時代などと言われたりするが、石垣島にいたら、そんなことも忘れてしまう程ゆったりと時間が流れている。これは頭で理解する事ではないのかもしれない。「石垣市内、どこまで行っても10分サー」の言葉に隠された、余裕をもって生きることの素晴らしさ。それを体感したことは、貴重な財産になると確信する。おすすめです!

 

 

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